inaojiの日記

社会科教師OBの社会科系徒然語り

東国の桓武平氏諸流による平家打倒

平家の世を滅ぼしたのは源頼朝だ。
では、頼朝を支えた武将たちも源氏だったのか。
そうではない。
頼朝に従う東国武士団の多くが、桓武平氏の流れを汲んでいた。
つまり頼朝に従う東国武将の多くは(千葉氏、上総氏、三浦氏などなど)平氏の末裔だった。平家は、東国平氏によって滅ぼされたと言っても過言ではないだろう。
 
 では、北条氏はどうだったのだろうか。
 実は、よくわからない。平氏流ではなかったかもしれない。
 
 北条義時の父、北条時政の祖父は、平時家という。時家は武将として名高い平直方の子だった。

 武将として有名な直方だが、時家は、直方の家を嗣ぐ立場になかった。そこで、東国に降り、東国で勢力があった北条氏の婿になる。北条は、この結婚によって平氏と繋がりができたのかもしれない。
 
 京武者として家格の高い婿を取ることは、北条の家の家格を上げた。周りの武士は、家格の上がった北条に一目置かざるを得なくなる。
 また時家は、北条氏という地方の実力者の後ろ盾を得ることができた。ウィン・ウィンだ。
 この損得勘定、当時は生き残る手段として、多く行われたことだろう。現に北条時政は源氏の頼朝を婿にしたわけだ。

 30年前、私が教壇に立っていたある中学校でのこと。鎌倉幕府成立に関する単元の学習を終えた後、ある生徒が単元のまとめとして次のように作文していた。
「同族同士、親兄弟同士で戦い、家の力を上げるために躍起になっていた当時の人々。でも、当時の時代背景を考えると『わかってやりなよ、現代の日本人』という気持ちになる。」
 古い記憶なのに、字形とともに、書かれた内容がしっかりと記憶に残っている。