令和6年4月23日(火)、鹿島神宮神宮と香取神宮を巡ってきた。
どちらも、一千年を超える御神木の醸す神域に囲まれた神座所。
訪れるだけで、厳かな気持ちになった。
東を向く香取社
経津主神(フツヌシ)は、古事記には登場しない神。
古事記では、武甕槌(タケミカヅチ)と同一視されていたためだと思われる。
日本書紀にのみ登場する神。
布都主神と表記されている剣が神格化した神。
香取神宮の拝殿・本殿は東を向いていた。
香取神宮
住所|千葉県香取市香取1697
Tel|0478-57-3211
西❓を向く鹿島社
鹿島神宮は北を向いている、とされる。
だが私には鹿島社の鳥居は東を向いているのに、拝殿・本殿が西を向いているように感じた。
何故だろうか。
北を向くのは、北の押さえの神社だからと言われる。
だけど、北ではなく西なのでは…❓
現地に行ったから感じる違和感…。
ところで、
鹿島社の祭神は、武甕槌神とされている。
武甕槌は、古事記にも登場する国譲り神話の中心となった神。
古事記では、武甕槌が持っていた剣がフツノミタマノツルギ(韴霊剣)。
さらにこの剣は神武東遷の時に、イワレヒコ(後の神武天皇)に勝利をもたらした神剣。
韴霊剣は、現在石上神社に保管されていることになっている。
石上神社は、物部氏系の神社。
現在鹿島に保管される下の剣は、『直刀』と呼ばれ、韴霊剣の二代目とされている。
鹿島神宮は、中臣氏と関わりの深い神社。
物部氏が滅んだ丁未の乱(ていびのら・587年)後、常陸に残った中臣氏は、韴霊剣を自分たちで祀りたいと願ったのだろうか。
だが、石上神社に祀られた神剣を鹿島に移すことはかなわず、韴霊剣に似せた剣を創って祀った、というストーリーはどうだろう。
科学的な調査によると、鹿島神宮の直刀の制作は1300年ほど前。
現存する日本最古の剣とされる。
鹿島神宮の細石
鹿島神宮には、国家に謳われる細石(サザレイシ)がある。
細石として有名なのは、高乃宮神社 境内 (広島市安佐南区長束西1丁目)にある細石だろうが、鹿島神宮内の細石も厳かで、趣深い。
要石
関東は、随所にある要石によって地震から守られているのだろう。
鹿島神宮の元神、沼尾の神と坂戸の神は、現在摂社として別所に祀られる
鹿島社は、元々は、坂戸の神と沼尾の神と天之大神(アマノオオカミ)の三柱の神の習合神。
だが、いつの頃からか、鹿島の神は、武甕槌申が祭神とされ、その他の神は拙者として祀られるようになった。
天之大神が、武甕槌であり、この神が他の神を飲み込んだと考えると他の神が拙者として祀られるのはわかる。
だとしたら、他の諸々の神と同じように鹿島神社の境内に拙者として坂戸の神も、沼尾の神も祀られるいるのかと思いきや、
意外にも、この二柱の神は、鹿島社の境内には無かった。
鹿島社から、2キロ・4キロ離れた場所に祀られていた。
土地神として、神格が強かったため、同じ境内に祀らずそれぞれの元々の場所に祀ったのだろうか。
元々の住民からの信仰が厚かったのだろうと想像する。