inaojiの日記

社会科教師OBの社会科系徒然語り

岐阜城の見所:岐阜城観光の前に押さえておきたい歴史背景と観光スポット

 

長良川の岸辺から見上げる岐阜城。現在の天守は1956(昭和31)年に再建された
岐阜城を臨む

金華山の頂上に建つ岐阜城
城下町として発展した岐阜のシンボルである。岐阜駅からは、車とロープーウェイなどで25分ほど。
戦国大名織田信長の本拠地であり、日本100名城にもその名を連ねる。

この城が最初に建てられたのは、1201年と言われる。
時代は、鎌倉時代
鎌倉幕府の執事である二階堂行政(にかいどうゆきまさ)が中心となって築城した。
二階堂行政は、鎌倉殿の13人の一人だね。


その後、土岐氏から美濃のマムシ斎藤道三、そして織田信長の居城となった。

斎藤道三については、昔は、一代で油商人から身を起こし、美濃を手中に入れた人物とされていたが、近年は「それは違うだろう」という説が主流になっているようだ。

まあ、そうだろう。

一代では、あまりにも短かすぎる。

 

荘厳な城「岐阜城」だが、残念なのは、この城は、家康によって廃城になっている。
だから、今の城は昭和になってから再現された城。

 

それでも、すごいのは、『日本史上初の城跡に造られた観光用模擬天守』を持つ城だということ。岐阜城を訪れる前に、このブログを読んでおけば、充実した岐阜城観光ができるはず。

岐阜城の荘厳な美を解き明かす

岐阜城の歴史

岐阜城は、標高300mを超える金華山の頂上に建っている。

稲葉山が、なぜ金華山になったのか。

これにも歴史がある。

神話の時代のエピソードなので、それも面白い。

 

戦国時代「難攻不落の城」と言われ、「美濃を制すものは天下を制す」と言われた山城だが、この岐阜城結構落城している。

戦国時代は、稲葉山城と言われ長井新左衛門尉(ながいしんざえもんのじょう)の子とされる斎藤道三の居城となったわけだ。

 

そして1567年に、戦国の三英傑の一人織田信長がこの城を落とし、自らの居城とした。
このとき信長は、地名を「井の口」から「岐阜」と改名したのだった。

 

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