inaojiの日記

社会科教師OBの社会科系徒然語り

鎌倉幕府は貴族社会から独立して、東の国をつくり上げたのか?

 鎌倉幕府の成立によって、西の国(天皇の支配)から東の国(武士の支配)が独立した、と捉える人がいる。現在、並行して読んでいるいくつかの本の筆者も、「鎌倉幕府を、西から東が独立した」と捉える方が複数いる。例えば、「日本中世に何が起きたか」の作者、網野吉彦氏だ。
 氏は、『鎌倉幕府を東国国家の成立』と捉えている。
 このような、東国国家成立論の方々は、鎌倉幕府に属する東国武士団は、貴族の支配から脱した。貴族による荘園支配から脱し自分達の権益を守るために、事実上東国国家を確立させた、と捉えている。
 しかし、この本の筆者である岩田氏は、この考え方に異を唱える。
 鎌倉幕府と西側社会、つまり貴族社会と武士社会は隔離されてはいなかったと主張する。『幕府も貴族社会の構成要素の一つだった』というのだ。
 東側の武士団の権益を確立するためにも、西側の天皇上皇を頂点とする貴族社会の一角に、武士団は組み込まれている必要があったという。
 私は、岩田氏の論に賛成だ。
 鎌倉幕府の頃は、武力を持った武士ですら、天皇上皇の権威の基でなければ生き残れなかった。この辺り、とても日本的だ。1か2かという完全な割り切りではなく、曖昧というか、良い意味ではっきりさせないというか…。
 奥深さをかもす日本文化の匂いが感じられる。