文藝春秋社、浅田次郎の『大名倒産』
浅田次郎さんは、相当昔の作家さんというイメージを持っていた。
だが、氏は昭和26年(1951年)生まれなので、まだまだ現役。
「大名倒産」は、2016年~、2019年まで「月刊文藝春秋」に連載されていた。
また、映画化もされている。
上下巻に分かれているが、上巻を一気読みしてしまった。
隠居して「一狐斎」と名乗る前藩主は、借金まみれの自分の藩の倒産をねらっていた。
自分は隠居して責任の逃れ、実子ではあるが妾腹の子で愛情を持たない小四郎を当主に据えて、藩の倒産の責任をすべて押しつけようと画策していた。
ところがこの小四郎がなかなかの人物で、藩の財政立て直しを図り出す。
隠居一狐斎の計画は、怪しくなる。
途中、貧乏神もからんでややドタバタ気味にはなるが、それでも最後の一線で品位を保っている。
映画版では、いま「らんまん」で牧野万太郎を熱演する神木隆之介が、主人公の松平小四郎を演じている。
この大名倒産という話、時代設定は江戸時代だが、「倒産」というネタから分かるように現代の会社をイメージして描かれている。
「大名倒産」のあらすじ
松平小四郎は、三万石の丹生山(にぶやま)松平家を相続して当主となる。
時は文久2年(1862年)8月1日、江戸時代の最晩期、明治維新を6年前に控えた年、江戸城では、東照大権現家康の江戸入りを祝う八朔祭りが行われた。
祭はつつがなく終了し、各大名が城から帰路につく中、21歳の越後丹生山の三万石の大名松平和泉守松平信房(小四郎)に、下城差留の命が下っていた。
松平信房、幼名小四郎は、9歳まで足軽の子として育っていた。
しかし、実は藩主の御落胤。
小四郎の実の父親、つまり隠居した前藩主は「嫌なやつ」で、女中をはらませてしまうと、おなかの子もろとも、その女中を家来に下げ渡していたのだった。
小四郎の養父は出来た人物で、小四郎を9歳まで実の子としてしっかりと育てていた。
だが、前藩主のどす黒い陰謀のため、9歳で育ての親から引き離し藩主の子として城に戻した。
やがて、小四郎は藩主となる。
「足軽の子から、藩主へ」
一見すると、大出世のいわば男子版シンデレラストーリーのように思えるが、もちろんこれには裏がある。
小四郎が引き継いだ丹生山三万石は、倒産寸前の藩だったのだ。
信房(小四郎)が、下城差留の命を受けた理由
21歳で藩主となり江戸城に途上した小四郎。
これが文久2年(1862年)の八朔祭りの場面。小四郎は老中から下城差留を言い渡され、冷や汗を流していた。
老中の前に出向くと、老中から思いも寄らない叱責を受けることになる。
前藩主の約束ではあったが、
「丹生山藩から、幕府に寄付すると書状で約束してあった金が納められていない」というのだ。
しかも、同じように書面で約束したにもかかわらず金を納めていない、という目録不渡の事態が、2度続いているという。
小四郎信房は、大赤っ恥をかき、汗ダラダラだ。
実は、前藩主で今は隠居の一狐斎、幕府に金など納める気などさらさらない。
金は隠して藩を潰し、責任は実施ではあるが愛情など全くない小四郎信房に押しつけて、切腹させてしまおうという魂胆だった。
小四郎信房、金策を試みる
小四郎は、幼なじみの磯貝平八郎と八部貞吉を近臣に取り立て、協力しながら金策に走り回莉、なんとかこの問題を解決した。