inaojiの日記

社会科教師OBの社会科系徒然語り

陽明学とは、どのような学問か:陽明学から学ぶ生き方の極意(その2)

 

 

陽明学とは、どのような学問か:陽明学から学ぶ生き方の極意(その2)

昨日に続き、守屋洋さんの「陽明学から学ぶ生き方の極意」を読んだ。
陽明学の祖である王陽明は、自らの唱えた「知行合一」を実践する人だった。

明の文官ではあるが、自ら軍を率い3度も敵を撃破している。

単なる頭でっかちではなく、実践の人。この一点だけをとっても、実に立派な人だ。

陽明学は、中国では廃れてしまったという。だが、日本では今も陽明学は、根強い人気を誇っている。というより、現在のアクティブラーニングなどは、陽明学の考え方を踏襲していると言って良いのではないかと思う。陽明学は、知れば知るほど興味深い。

王陽明は、三度反乱を平定した

王陽明は、明代の人(1472年から1528年)。

この明の時代、文官であるにもかかわらず、自ら兵を用いて、反乱を平定した人物は、後にも先にも、王陽明(守仁)のみだそうだ。

 

王陽明の学問は、単なる知識を得るだけのものでは無く、実学だということだ。実際の生活で役に立たなければ、「知識を身に付けたとは言えない」

 

私は水戸の人間なので、水戸学に興味がある。

水戸学と言えば、水戸光圀であり、光圀の師は朱舜水である。

 

そして、朱舜水実学の人。
水戸学も、実学を目指した学問・思想。

舜水の儒学は、「朱子学陽明学の中間のような学問」と言われるが、私は、実学という点で、陽明学に近いと感じているのだが、まだそう断定するほど、学者の説を学んでいない。

 

「水戸学は、陽明学と言えるか」

という疑問は、今後も追究していきたい。

陽明学は「知行合一」を目指した

陽明学を特徴付ける言葉を一つ挙げるなら、何か」という問いに対して、

守屋氏は、

知行合一」と述べている。

 

「『知』と『行』は、一体だという。」

知行合一」こそ、陽明学の魅力だとも述べている。

 

確かに、『魅力』という言葉は納得できる。

わたしは60代だが、我々が学生の頃は受験戦争の弊害が叫ばれていた。受験のために、本当に瑣末な知識まで覚えることを要求された。

考えることを許されず、「とにかく覚えろ」「余計なことを考えるな」「知識を詰め込ンだものが勝利者。」「睡眠時間を3時間にした者は勝てるが、5時間寝た者は負ける」など、本気で言われていたし、世の中の大多数がそう信じていた。

 

「知識を学び、学んだ知識を使って考え、他者の意見を聞いたり、話合いをしたり、活動したりして、元の知識を修正しながら生きた知識に高めていく学び方」、いわゆるアクティブラーニングなどの、動的な学びは、異端と考えられていた。

 

これが、儒学の世界でも起こっていたのだから面白い。

科挙に受かるためには、机にかじりついてまず、知識を覚えよという朱子学

「先知後行」が朱子学の立場。

 

対して、陽明学は、「成すことによって学ぶ」「知行合一」だ。

だから陽明学は、日本人には馴染みやすい。

特に、現代日本人には、朱子学より陽明学が合うだろう。

朱子学陽明学の修養の方法の違い

朱子学の修養方法、つまり勉強の方法は、『万物乗りを極めて知識の拡充を図る』という方法。

先ほども述べたが、「机にかじりついて、とにかく先人の残した古典から「知」を暗記する。「古典」の批判などはおこがましい。」

という、ガリ勉を旨とする。

 

対して、陽明学は、「そもそも知識は、自分の心の中にある」、と捉える。
その自分の中に既にある知識を元に、万物の在り方(現実の事象)に働きかけ、疑問をもち、仮説を立て、自分の知を修正してゆく」という方法をとる。

 

王陽明は、「知っていながら行わないのは、まだ知っていないこと」だという。

例えば、「自分は親孝行はどういうものか知っている」と言いながら、それを実行でき名人物は、「親孝行を知っている」とは言えない、と言う。

 

陽明学による学び方を進めるに当たって、注意すべき点

王陽明は、「聖人の教え(古典、つまり知識)は、根本の所を把握していない限り、遅効が同じだ・違っていると論じても意味が無い。」と言っている。

 

ちょっと分かりづらい。

古典について、基本的な知識を知っておく必要があるというなら、朱子学とどこが違うのか、という疑問がわく。

 

おそらくこれは、「成すことによって学ぶ」にしても、「基本の知識」つまり、既習の知識が無ければ、「あれ、変だな」とは思えないし、「これはこういうことでは無いかな」という仮説を建てることも出来ない、ということだろう。

 

「既習の学習事項」「それまでの体験・経験で得ている知識」が既にあって、その知識を再構成していく活動が、陽明学の学習方法だと言っているのだと思う。

 

体験して初めて理解できる

王陽明は、「見る」とは、「知る事」
「思う」とは、「行うこと」だと言っている。

 

美しい花を見たときを例として、

「花を見る」という行動は、「知る」こと。

そして、瞬時に「きれいだなあ」と感じる。これは「行うこと」だ。

これも「知行合一

 

さらに、「あれ、花に変な棒のようなモノがある。(おしべとめしべなのだが)」

「しかも、違う種類のモノがある。これは何だ。」「どういう役目をしているんだ」など、「これは何?」「これは変だ」と思ったら、それを徹底的に追究する。

これが陽明学の「知行合一」だという。

 

まさに、現在の学校教育の学習指導の方法と同じだ。

 

実は、今日は2時間読んだので、もう少し内容があるのだが、長いのでここまでを記録し、残りは明日記憶できているかどうか再度確かめることにする。

 

それにしても陽明学は、興味深い。

 

まとめ

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